American Boyfriend: Bodies of Water

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Venue: Kyoto City University of Arts, Art Gallery, Horikawa Danchi
Dates: June 14th(Sat)-July 27th(Sun)

“Bodies of Water” exhibition took place during the rainy season in Kyoto, in two venues alongside Horikawa River: at @KCUA, Art Gallery of Kyoto City University of Arts and at Horikawa Danchi, a renovated gallery space within one of the oldest Housing Complex in Japan. The exhibition included new video piece “River,” “The Ocean View Resort,” a video piece previously exhibited in December 2013 in Tokyo, alongside other sculptural, photographic and embroidery pieces.

To accompany the exhibition, Japanese art magazine Bijutsu Techo (BT) published my 16-page text piece “Bodies of Water” on their July issue. The piece functioned as a guide for the Kyoto exhibition; and it included Japanese translation of “1990: L.A., The Gold Field” by Felix Gonzalez-Torres, which he wrote in response to seeing Roni Horn’s “Gold Field” At LA MoCA in 1990.

Organized by  Kyoto City University of Arts, Art Gallery
http://gallery.kcua.ac.jp/#ja

American Boyfriend Project www.americanboyfriend.com
Curation: Hikotaro Kanehira, PR: Maho Masuzaki, Design: Toshimasa Kimura

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@KCUA Installation Views:
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Horikawa Danchi Installation Views:
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American Boyfriendトーク「戦争を想像する」

Songs for the Forgotten (What Lies)s
会場:VACANT
住所:150-0001 東京都渋谷区神宮前3-20-13
日時:2014年3月23日(日) 14:00-

 

美術や文学をはじめとしたさまざまな媒体で、第二次大戦や戦後の混乱期を知らない若い作家が、独自の視点で第一次・第二次大戦を取り上げ、描いてきました。70年近くにわたり(少なくとも直接的には)戦争を経験してこなかった、また、国外の紛争から物理的距離において切り離されたように思えてしまう日本という場所で、どのように戦争を語るのか。本トークでは、現在活動する若手の表現者たちの作品における戦争の表象、また、時間的・地理的に遠い場所で起きた(起きている)戦争が現代日本に生きる私たちに与える影響についてを、作家・漫画家の小林エリカさん、「新潮」編集長の矢野優さんをゲストに、見てゆきます。

出演:
小林エリカ(作家・漫画家)
矢野優(「新潮」編集長)
ミヤギフトシ(現代美術家)

司会:
江口研一

ご予約はVACANTまで

Sight Seeing

(Work in progress)


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(Scroll down for more images)


Photograph a person, in darkness, with exposure time of one minute or more.

I’ve never faced a subject in a honest manner using photographic media. Sometimes I staged (Strangers), sometimes I went virtual (You were there in front of me). I never thought that I would be qualified to call myself a photographer, in the end, what I wanted from shooting sessions were not photographs themselves, but relationships formed there. Even if the situation was staged, even if the whole thing seemed like a detour, I looked for a possibility. I liked the slowness of the process.

During the time of daguerreotypes (those staged, gentle portraits), when the exposure took minutes, what went through between the photographer and the photographed? During the motionless, awkward minutes, there seemed to be a possibility to create trust and intimacy between the two. A subtle breeze that causes gentle blur. Nevertheless, my digital DSR will finish an exposure within a blink, it can only portray an instant.

I can put the lights off, then. So that the exposure takes much longer. In the dark room, without moving, I face the subject for minutes. The camera will slowly record him with the help of the dimmest of the available lights. Darkness can be an escape, but darkness enables the camera to capture things that elude our poor eyesight. In the forced, nevertheless honest minutes, what sort of relationship will be established between us? And what will the images show?

Futoshi Miyagi

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New Message (Book)

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photo: Fumihito Katamura

My first book new message was published by torch press. It compiles sculptural pieces/objects and accompanying texts from 2005 through 2013.

 

Futoshi Miyagi new message
Designed by Yuri Suyama
Paperback, 72 pages
In Japanese and English
2,625 yen (Regular edition)
Edition of 400 with Special edition of 30
To purchase, please contact:torch press

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Special Edition #1 Cuts (21,000 yen, comes with a print)

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Special Edition #2 Capsule (15,750 yen, comes with a print)

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Special Edition #3 Glitters (15,750 yen, comes with a print)

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All the special editions come with the print (165 x 216mm, signed) with a image below. For inquiry regarding the special editions please contact: torch press

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New Message (Exhibition)

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Book Launch and Exhibition
at Post
2-10-3 Ebisu Minami, Sibuya, Tokyo
December 7th(Sat)-19th(Thur), 2013 *Closed on Mondays
Hours: 12:00–20:00
Reception: 2013.12.7 (Sat) 18:00-20:00

The exhibition of photographs and objects will be held, celebrating the publication of the book new message.

Futoshi Miyagi new message
Designed by Yuri Suyama
Paperback, 72 pages
In Japanese and English
2,625 yen (Regular edition)
Edition of 400 with Special edition of 30
Published by torch press

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American Boyfriend: The Ocean View Resort

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At Raum1F
5-39-12 Jingumae Shibuya-ku Tokyo
Dates:December 4th(Wed)-20th(Fri)

New works from American Boyfriend project was presented, including video piece The Ocean View Resort.

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American Boyfriend Project
Curation: Hikotaro Kanehira, PR: Maho Masuzaki, Design: Toshimasa Kimura

American Boyfriend

A blog (On possibility of an Okinawan man and an American man falling in love in Okinawa / 沖縄で沖縄人男性とアメリカ人男性が恋に落ちることは可能かについて): www.americanboyfriend.com

日本とクィアな表現

非異性愛者による表現、時にヌードや性的にあからさまな表現を含めた非異性愛者の性にまつわる美術は、日本においていまだ発展途上かもしれませんが、少しずつ、日本でそのようなクィアな表現を行う作家について知る機会も増えてきました。彼/彼女らについて、Zineやアーティストブックなどの出版物を通して知ることも多々あります。新たな文脈が生まれつつある、と僕は思っています。だから、わいせつかもしれないという不安のもと、表現が萎縮しないでほしいと願っています。(ここで言うZineは、独自の流通経路をもつ自費出版による出版物。レスリー・キーの写真集もZineとして機能していたと僕は考えています)

クィアな表現に不安を持ったら、性的少数派に属する作家によるZineを纏める目的でAAブロンソン(AA Bronson)らが行ってきた「Queer Zines」展で紹介されている作家たちに目を向けてみても良いかもしれません。たとえば、ウィーンの美術館・セセッションのディレクターを2006年まで勤めたマティアス・ヘルマン(Matthias Herrmann)は、ずばぬけて卑猥な男性ヌード作品集(ほぼ全てセルフポートレイト)をディレクターであった当時から自費出版し続けています。2000年代、BUTTをはじめとした、あっけらかんとした男同士の性表現を取り扱うクィア雑誌がブームとなりました。それらの雑誌はティルマンスらの有名写真家が写真を担当するなどして大きな注目を集めました。同じ時期、LTTRというZineをつくるレズビアンの作家たちは、ブルックリンのクィアアートムーヴメントの中心的な存在となり、日記、裁縫、料理、ファッションといった「女性的」とされている手法を自らの表現ツールとして再構築し、表現の域を押し広げました。当時のブルックリンでは、ポール・セプヤ(Paul Sepuya)やクリストファー・シュルツ(Christopher Schulz)ら、ゲイの作家たちもまたZineのフォーマットでパーソナルかつセクシュアルな作品集を発表しはじめています。

なぜ、クィアの作家達は印刷物を表現の第一手段としたのでしょうか。「Queer Zines」カタログの前書きにおいてブロンソンは、クィアZineの起源について、パンクやビート文化、さらに遡って、ヨーロッパのアナーキストたちによるアンダーグランドの出版文化を挙げています。(*1)それらは、密やかな場所から独自のネットワークを広げ、強烈な声を発してきました。Zineは、アンダーグラウンドの流通網を通して他者と交流する最良のツールでもあったのです。時をへて、地下に撒かれた種が地上に芽吹きます。クィアZineは欧米を中心に大きな盛り上がりを見せ、高い評価を得ます。BUTT Magazineなどはより広い流通網を手に入れることに成功し、アメリカのアート系書店では必ず目にする程メジャーな存在になりました。ただ、アジア人の/アジア人による表象はあまり目にしないことも事実です。だからこそ僕は、レスリー・キーの表現をわくわくしながら見つめていました。

1989年、アメリカのキリスト教保守系団体AFA(American Family Association)が、デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(David Wojnarowicz)という作家のコラージュから、男性ヌードや男性同士の性行為を描写した写真部分だけを作品の文脈を無視するかたちで抽出し、記事にしたことがあります。ヴォイナロヴィッチも参加していたグループ展にNEA(National Endorsement for the Arts/国立芸術基金)が資金提供していたことについての悪意に満ちた中傷記事でした。NEAは資金提供を差し控え、その年、風評被害もあってヴォイナロヴィッチの収入は大きく減ることになります。 彼は一連の騒動で精神的にも大きなダメージを負いました。1990年、ヴォイナロヴィッチは裁判を起こします。口頭尋問で、自らの活動について、男性ヌードや性的にあからさまな表現が作品においてどのような美術的、政治的意図があるのかを、彼は自分の言葉で、素直に、明確に語っています。(*2)下記は、その一部です:

あなたの作品には、性的な画像を含んだものが幾つかありますが、なぜそのような作品を作るのか、わかりやすい言葉で、説明して下さい。

私が近年の作品に性的な画像を使う理由として、まず、私自身の体験を作品に反映させていることが大きいです。同時に、20世紀も終わりに近いこの時代に、セクシュアリティや人間の体といったテーマがタブー視されるべきではないと、私自身も思っているからです。
性的な画像を使う理由のもうひとつに、ひとびとの多様性や多様な性のありかたを表現したかったということがあります。そして、人間の体がタブーとされることについて私が疑問に思う最も大きな理由として、もしも、この10年の間、人間の体というものがタブー視されていなければ、もしかしたら私は、合衆国保健社会福祉省や国会議員から、このウィルス(訳者註:HIV)に感染することを防ぐ手段を教えてもらえていたかもしれないのです。

あなたは、性的な画像を、ひとびとを刺激したり興奮させるために使用していましたか?

そのような意図は全くありません。(*3)

 

この裁判で、彼は勝訴します。 求めた賠償金は、一ドル。その一ドル小切手を、とある展示で見た事があるのですが、 ヴォイナロヴィッチ的な美しき『ファック・ユー』のしぐさが、この小さな紙切れに結晶化されていました。団体側にとっては、たった一ドルの消えない汚点。コーラも買えないほどに小額の小切手の存在に、僕は大きな希望を覚えました。

美術かわいせつかの議論が不毛だと言う人もいますが、対話/議論を続けることは大切だと思います。その対話/議論において、作品はそれが身をおく文脈も含めて語られるべきで、一作品、もしくはその一要素だけで判断されるべきではないことは自明です。ある作家のある作品、あるいはその一部分を切りとれば、歪んで見えるのかもしれない。でも、視野を広げて彼/彼女の作品を、より大きな歴史的、美術的、政治的な文脈から見据えたとき、一見わいせつにみえるものは、はたしてただわいせつなものとしてのみ機能しているのでしょうか。ヴォイナロヴィッチの作品がわいせつなものでないことを僕たちは知っています。先にあげたQueer Zines関連の作家たちも同様です。彼ら/彼女らの作品を初めて目にした人たちはきっと当惑したでしょう。でも、時間をかけて作家たちが作り上げた文脈のおかげで、少なくとも欧米の美術界において、クィアによる表現はずいぶんと風通しの良い場所に辿り着きました。同時に、その風通しの良さに挑戦するような新しい表現も生まれ続けているのです。個人的に、クィアZineの盛り上がりやその歴史を知ったときの安堵、帰属感のようなものは、いまでも強烈に覚えています。

だからこそ、作ることを躊躇しないで欲しいと強く願います。不安なら、とりあえずアンダーグラウンドにとどめておけば良くて、作ることが第一であるべきだと僕は思っています。見せることは後で考えれば良いのではないでしょうか。いつかそれが大きな流れにふわりと浮かべられる、その時期はきっとくるはずです。

大げさかもしれないが、クィアZineが示すものは、21世紀における生き方のひとつの表象だと思っている。今世紀において、自らの内に潜むいびつな声を解放するということは、文化をかたちづくる上で非常に重要なことなのだ。そうやって文化をつくることでわたしたちは、人間らしさを保ち続けているのだから。(*4)
by AAブロンソン

 

この先、まだ観ぬ(突拍子も無くて)(ぶっ飛んでいて)(とってもクィアな)Zineやアート作品を目にする事が、楽しみでしかたがありません。僕も、そういうものを作ってゆけたらと思っています。

 

2013年2月 ミヤギフトシ

 

===

*1 AA Bronson and Phil Aarons, eds., Queer Zines (NY: Printed Matter), 2007

*2 Giancarlo Ambrosino, ed., David Wojnarowicz:A definitive history of five or six years on the lower east side (NY: Semiotext(e)), 2006

*3 “Court Transcript”, in Giancarlo Ambrosino, ed., David Wojnarowicz:A definitive history of five or six years on the lower east side (NY: Semiotext(e)), 2006

*4 AA Bronson “Introduction” in AA Bronson and Phil Aarons, eds., Queer Zines (NY: Printed Matter), 2007

 

(引用部分はすべて本投稿著者訳)

Blue Valentine

Group Show
“Blue Valentine” -presented by XYZ collective
at XYZ collective, Tokyo http://xyzcollective.org/access
February 10th(Sun) to March 3rd(Sun) *Closed on Mon, Tue, Wed
Hours: 14:00 -19:00
Reception: 2月10日(日)16:00-18:00

Artists: 大久保あり、小林エリカ、COBRA、戸田祥子、
    mamoru、松原壮志朗、南川史門、ミヤギフトシ
Curator: 松原壮志朗

「エイズ危機時代のアメリカにおけるクィアの表現とその可能性」

「ゴンザレス=トレスの美学における基本単位は「二」であり、重なりあい、連なっている。孤独は、「一」として表されることはなく、常に「二」の不在として立ち現れる。だからこそ、彼の作品はカップルという美術史上における主要 モチーフの表象において、重要なのだ」Nicolas Bourriaud, “Relational Aesthetics” (les press du réel, 2002)
そう語ったのはニコラ・ブリオーというフランスのキュレーターで、彼の「関係性の美学」はアーティストや批評家たちに大きな影響を与えたけみたいだけど、僕はゴンザレス=トレス作品の「二の不在」についてのテキストばかり読み返している。僕は、二組のティーカップとソーサーを持っていた。どちらも安物で銘柄も色も形も違うけれど、映像作品に使ったり、気に入っていた。カップのうちひとつは2011年の震災で棚から落ちて割れてしまい、もうひとつは何でもない時に落として割ってしまった。今はどちらもソーサーしか残っていないくて、テーブルクロスにはまだ二つほどの染みが残っている。

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“American Boyfriend”関連イベント
「エイズ危機時代のアメリカにおけるクィアの表現とその可能性」
笠原美智子、千葉雅也、ミヤギフトシ
2012.8.4 (sat)
at VACANT

80~90年代にかけエイズ危機に覆われたアメリカ美術界で、セクシュアルマイノリティのアーティストたちは誰に向けてどのような表現を行っていたのでしょうか。デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチやフェリックス・ゴンザレス=トレスをはじめとしたセクシュアルマイノリティの作家に顕著な「抗い」や「哀しみ」という時代特有の表現を再考しながら、彼・彼女らの手法は、セクシュアルマイノリティによる表現がいまだ表面化しづらい日本においてどこまで可能か、ともに見てゆきます。

スピーカー:
笠原美智子(東京都写真美術館チーフ・キュレーター)
千葉雅也(研究者、批評家)
ミヤギフトシ(現代美術家)

聞き手:
江口研一(編集者、ライター)

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