Queer Zines 前書き

New York City, 4:25 am, Friday, October 3, 2008.
暗闇の中、ボーイフレンドのマークの静かな寝息を聞きながら、このテキストを書いている。フィル・アーロンズとともに実現に向けて動いてきた『Queer Zines』展とその展示カタログについて、思いを巡らせながら。まずはっきりさせたいのは、これがフィルのアイディアに端を発するものだということ。そこから長い間をかけて練ってきた展示も、遂に開催を間近に控え、カタログも20日後には完成する予定だ。そろそろ、この前書きを書き始めなければならない。

このささやかな前書きにおいて私は、いくつかの思考や歴史の切れ端をつぎはぎしてゆこうと思う。このテキストを含め、『Queer Zines』にまとめられた一つの流れは、いずれ誰かによって論理的な歴史検証として成熟がなされるべきものだ。今ここにあるのは、私たちが集めることが出来た、ばらばらの断片たちでしかない。

60年代後半、西洋社会がアンダーグランド誌で溢れかえっていたその時期、ショッキングな程に露骨な雑誌がアンダーグラウンドに登場する。「SUCK」というその雑誌は、アムステルダムのフリーセックス・コミューンで誕生した。当時のアングラ誌が、ほとんどコミューンベースで発行されていたことは事実ではあるけれども、「SUCK」の特異さは、それが、男、女、ストレート、ゲイ分け隔てなく多様な参加者により編集がなされていたこと、そしてフェミニズムの思考とプロセスから派生したといってもよい日記的手法を取り入れたことだろう。「SUCK」の誌面上で起こっていたこと(本当に数多くのことが起こった)は、コミューン内でのセックスライフの大仰な描写とともに、知的考察や思想論議、ラディカルポリティックスが混ざり合い、一つの特徴的な叫びとなってゆく。

時を同じくして、ニューヨークのダウンタウンで、Ed Sanders主宰のFUCK YOU PRESSが発行した雑誌「FUCK YOU: A MAGAZINE OF THE ARTS」が、新世界への入り口としての機能を果たすようになっていた。「FUCK YOU」は、当時活動していたバンドFUGSのアナーキックかつ恍惚的な、極めて政治色の強い音楽性を取り入れ、そこにニューヨーク派の詩人や、ビート作家による文章、そしてもちろん、セックスを取りこんでいった。果てしなく続く極めて政治的でポリセクシュアルな議論が、謄写版印刷の紙面から溢れ出さんばかりに飛び交い、その後数十年のニューヨークで続くオルタナティブパブリッシングの流れを生み出したといっても過言ではないだろう。

自己反芻を行いながら、自らの存在を文章の中で隠すことなく書き、そして見せかけの客観性を捨てた、もうひとつのジャーナリズムの形がある。現在では、そのような文章が当然のように読まれているが、それが始まったのは、ニューヨークのフリーペーパー、The Village Voiceが70年代にこのスタイルを全面的に取り入れはじめた頃だろう。それはレズビアン作家Jill Johnstonの記事に顕著だった。彼女のダンス評は、ダンス論とレポート、彼女自身の性体験やアバンチュール、口論、ラディカルポリティック、痴話話が混ざり合い、まるで日記のような無責任な殴り書きとして、悪名高いものだった。Voiceほど知名度・信頼度の高いメディアが、このような独特な声を取り上げ、育て上げたことは、特筆に値するだろう。当然、連載は短命に終わったが、私たちは確かに彼女の声を聞き、その声が我々の世代に与えた影響は少なくなかった。時を同じくして、Boyd McDonaldという男が、「Straight to Hell」という名の小冊子を創刊し、場末の怪しげなニューススタンドやセックスショップで売り始めた。

 

6:17 am, Monday, October 6, 2008.
クィアジンとよばれるものたちの先駆けを考えてみる。Aubrey Beardsleyの「The Yellow Book」はどうだろうか。百年以上前のものだ。Jack Smithの「The Beautiful Book」(1962)は、エロティックでパーソナルなスミス自身の遊び歩きの記録写真集だ。70年代のチューリッヒ、アートシーンの動きを追うとともに、美しいスイスボーイたちの過激なクロースアップ写真を見せる、今でも悪名高いWalter Pfeifferの「1970-1980」(1980)は、日記的手法を取り入れた写真集で、この後、いまでも脈々と続くヨーロッパのジン文化の礎となったことは、間違いないだろう。
究極的に、ジンの最も有効で最良のモデルは、ジンそのものに他ならない。ジン文化は、継続的対話でつながり広がってゆくコミュニティのようなものなのだから。

 

7:14 am, Tuesday, October 7, 2008.
1976年、イギリス。そこで起きたパンクジンの爆発的広まりは、先例のない現象だった。自費制作のレコードたちとともに、溢れるほどのジンが、パンクスターたちの間や、彼らの入り浸っていたショップなどで流通し始めた。ロンドンのカムデンタウンには、それらを扱う書店があり、特に有名だった。どうしてもその名前を思い出せないのだけれど、そこはたしか、当時の先鋭的なコンセプチュアルアートの雑誌を扱うショップとしても知られていた。

Stephen Willatsはその頃からパンクジンを収集していたアーティストで、私たちが当時発行していたFILE MAGAZINEのパンク特集は、彼の協力により完成した。その後、パンクジンが私の興味を引き始めていた。その中で、今でも割と知られているジンは、「Sniffin’ Glue」あたりだろうが、現象としてもっとも興味深かったのは、名もない作家による、何百ものパンクジンたちだった。その流れのなか、破廉恥な性描写やSMのスタイルが「パンクルック」として定着してゆくのだが、支流としてクイアジンがそこから独自のムーヴメントを形成するのは、まだ先のこと。イギリスのパンクは、ファッションやカルチャーシーンとも活発な交流を深め、それは、ヴィヴィアン・ウェストウッドとセックス・ピストルズとの関係からも明らかだ。また、デレク・ジャーマンの映画「ジュビリー」(1977)は、明らかなクイア性、少なくとも、性的あいまいさを孕んでいた。

少し、ファッションやカルチャーシーンについて考えてみよう。70年代中頃、ヴィヴィアン・ウェストウッドとマルコム・マクラレンは、ロンドン・ワールズエンドにある自身のショップの名前を、SEXへと変えた。そこで彼女は、それまで闇の中で執り行われたレザーやラバーのフェチズムを全面へと押し出したファッションを展開する。それは、極めて中性的であり、混沌に満ちていた。人気ナンバーワンのショップスタッフは、当然のごとくパンクカルチャーのポスターガールとして君臨するようになる。噂では、ゴムのミニスカートを下着なしで身に纏い、驚く程に部族的なモヒカン、派手なマスカラを施し、毎朝近郊からロンドンのショップへ地下鉄で通っていたそうだ。ヴィヴィアンは、新たにSeditionariesを立ち上げ、Tom of Finlandのイラストをデザインに取り入れた。ショップの客であったセックス・ピストルズがそれを身に纏い、爆発的人気を得ることになる。ヴィヴィアンはまた、彼女の周りの世界に対する身を切るような発言でも取りざたされた。ジョン・ライデンとの関係が不仲に陥った時、彼女はブティックのガラス面をベニヤ板で覆い、辛辣な悪口をかきなぐった。この孤高かつ発信力の強い「個の声」が、パンクジンのロールモデルとなった、と私は信じている。

このパッチワークキルトの切れ端を集める作業において、ウィリアム・バロウズの存在を忘れてはならない。アメリカ人ビート作家でありながら、フランスで絶大な人気を得ていた彼は、70年代中頃に「猛者(ワイルド・ボーイズ)―死者の書」が出版されパンク文化創成期の若者たちの支持を得るまで、アメリカにおいては見向きもされなかった。バロウズと若者、とくにクィアの若者たちとの繋がりが70年代後半まで続くなかで、彼のカットアップの手法が、80年代のクィアジンの礎を築いていったのだ。

 

5:29 am, Thursday, October 9, 2008.
ここしばらくG.B. Jonesと、この本の内容についてメールでやり取りしている。特に、女性が果たした役割と、ジンそのものの存在意義ー自身の文化をつくりあげることーについて。インディペンデント出版の世界で女性の果たした役割はとても大きいが、私は彼女たちがクイアジンの流れに与えた影響について、特に強調したい。クイアジンが取り入れた手法は、長きにわたり女性の愉しみと軽々しくカテゴライズされて来た、日記文化から派生したものだからだ。Germaine Greerの「SUCK」における文章や、The Village VoiceのJill Johnstonの記事がそうであったように。フェミニズムの文学批評において、メモワールという形態は精査されてきたが、おそらくSUCKは批評の対象にはなっていないだろう。同じように、クイアジンにも目を向けていない。しかし、フェミニズムの手法をいち早く取り入れたのは、ストレートではなくクィアの男性たちだった(もちろん、彼らに先行して、ゲイ女性たちにまず採用されたのは、言うまでもない)。

デザイナーのギャリックがこのテキストを要求している。もうすぐ書き終えなければいけないようだ。今朝のうちに、どうにか終わらせようと思っている。だから、最後にいくつか、ジグソーパズルの空きを埋めるピースたちについて書いておきたい。他は、きっと近い将来、誰かが纏めてくれるだろうから。

英語文化圏において書籍に対するパンフレット、冊子が最初に現れたのは、15世紀のこと。そして1580年代、冊子文化は大きな広がりをみせる。ゴシップや誹謗中傷、思想や意見が自由に混ざり合い、政治や時事について、人々が紙上で語り始めたのだ。この冊子文化は、結果として民主主義と自決権の考えを広めてゆくことにも貢献した。もちろん、それを可能にしたのは、印刷機の発明だ。

20世紀後半、いくつもの技術的進歩がインディペンデント出版をより簡単なものとした。その技術をいくつか挙げてみよう。オフセット印刷の発展は、60年代のアングラニュースペーパーの台頭を可能にした。60年代中後期、教育機関や役所での役目を終えた謄写版は、少部数のポエトリー雑誌を刷る役割を得ることになる。FUCK YOU PRESSは、謄写版の即席性と簡易性を極めた良い例だろう。70年代中頃になると、コピー機が登場し、ジン制作の最も有用な手段として定着する。初期パンクジンの多くも、コピー機を使用して作られた。DTPの登場で、ジンはより洗練されたスタイルを手に入れることになる。現在、デジタル出版や、オンデマンド出版などが、インディペンデント出版の地平を進行形で書き換えている。

 

5:22 am, Friday, October 10, 2008.
この前書きにおいて、クイアジンそのものについて書くことをすっかり忘れていた。初期の代表作として、John Jack Baylinの「Fanzini」を選ぼう。G.B. JonesとBruce LaBruceによる「J.D.s」は、80年代後期の理不尽かつ見栄っ張りなハイアートの声に溢れている。80年代後半から90年代初頭に発行された多くのジンは、特筆に値するものばかりだ。Scott Treleavenの「This is the Salivation Army」や、Vaginal Davisの「Fertile Latoyah Jackson Magazine」などだ。突っ込んだ議論は、やはり未来の誰かに任せるとしよう。現行のアーティストだと、Paul Sepuyaの「Shoot」が日記的手法を取り入れている。しかし、そこに文字はなく、写真のみだ。一方Calvin Holbrookの「HATE」はパンフレット文化のゴシップ的側面を現代風に取り入れている。ユニークな声は、色々な場所から聞こえてくるが、私はそれらをまだ特定したくはない。彼らは、継続的な対話の中で成長をつづけているのだから。

読者へ、この後に開かれるページが、あなたをクイアジンの世界へと誘い、読み深めるきっかけになることを願ってやまない。もし私たちがきちんと伝えることが出来ていれば、きっとあなたはジンという文化のなかに自らを浸してゆくことになるだろう。そして、いつ消えてなくなるかもしれない小規模出版物を購読しはじめるかもしれない。願わくば、我々の選択に意義を唱えてほしい。世界には、数多くのジンが今でも発見されるのを待ち続け、また同じくらい多くのユニークなアイディアが、出版されるのを待っているはずだから。

大げさかもしれない。クィアジンが示すものは、21世紀の生き方のひとつのありかただと思っている。今世紀において、自らの内に潜む、かすれた声を解放するということは、文化を形作る上で非常に重要なことなのだ。そうやって文化を形作ることで我々は、人間らしさを保ち続けているのだから。

 

AA・ブロンソン