感光

(Work in progress)

*現在撮影にご協力頂ける方を募集してます。詳しくは本投稿の下部をご参照ください。



(Scroll down for more images)

しばらく前から、東京に住む男性たちを夜に訪ね、明かりを消した部屋の中で彼らを撮りはじめた。色んな理由があったけど、とりあえず、つながりがほしかったから。それも、引き延ばされた時間のなかで、ゆっくりと彼らに向かい、つながりを探りたかった。暗闇での長時間露光は、それにぴったりだったし、デジタル写真という瞬間のメディアを使って、あえて居心地の悪い緩やかな流れの中に身を置く事はとても新鮮だった。

暗くした部屋の中で、動かず、言葉もなく、相手の事すら上手く見えない空間で、僕たちは一分間、時にそれ以上、カメラが彼を記録し終えるまで、向きあう。暗闇はもしかすると逃げなのかもしれないけれど、暗闇の中でこそ、明るい部屋や太陽のもとでは見えなかった風景、光、そして表情をとらえる事も出来るはず。

撮影中の、数分感の完璧な静けさ。ある暑い夜、その沈黙はあまりにも堪え難くて、顔を流れる汗が止まらなかった。2、3枚写真を撮って、僕は静けさから逃げるようにして彼の家を後にした。別の撮影では、隣の部屋で彼の家族が楽しそうにTVを見ているのが聞こえた。暗くした隣の部屋で、彼が裸になる。僕は庭に咲くあじさいばかりを見ていた。郊外の静かな月夜の中で、あじさいはとても奇麗だった。

また、ある時。静かな部屋の外で、雨が降り始めたのを、彼と僕は聞いた。言葉を発せずに佇む彼の指の間で密やかに燃えるたばこ。暗闇のなかで、うまく表情を読みとる事もできず、僕には彼がその時何を考えていたかわからない。でも、彼の存在は僕をとても安心させた。彼は確かにそこにいて、穏やかにカメラを、僕を見ていた。なぜか、感じる視線は苦にならなかった。そのとき僕が、目前の暗闇に、そして暗がりの向こうの彼に見いだした確かな光を、カメラはとらえているんだ、と確信した。

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本プロジェクトにモデルとしてご参加頂ける方を探しています。東京都内もしくは近郊に住む男性で、これまでの僕の写真作品、そして本作品の趣旨をご理解頂ける方であれば年齢等は問いません(20歳以上の方)。
夜、あなたの部屋で撮影させて下さい。部屋の電気をけして、露光時間は一分間、もしくはそれ以上。ゆっくりと時間をかけて写真を撮ります(撮影に要する時間は、準備含め1時間程です)。顔は出したくない等ご要望あれば、出来る限りご対応します。
基本的に無償でお願いしておりますが、ご希望の方にはプリントを差し上げます。

ご連絡は、futoshi.miyagi@gmail.comまで。

ミヤギフトシ、2011年3月


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感光の数分間

A Few Minutes of Sight Seeing #12

Video
Duration: 3:42min

Shooting Session for Sight Seeing #12

A Few Minutes of Sight Seeing #12 from Futoshi Miyagi on Vimeo.



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A Few Minutes of Sight Seeing #11

Video
Duration: 3:12min

Shooting Session for Sight Seeing #11

A Few Minutes of Sight Seeing #11 from Futoshi Miyagi on Vimeo.

OSSU, 日本男児ISSUE

OSSU

A magazine about men, from Tokyo, Asia. The first issue will be launched at THE TOKYO ART BOOK FAIR 2011, July 16th to 18th.

OSSU are:
Toru Kirishima
Futoshi Miyagi
Eiki Mori
Hiroyuki Takenouchi

with
Fumiko Imano
Hanayo
TwoTom

More info soon!

Winter




壊れたスノードーム、グリッター
Dimensions Variable

Tea For Two




ソーサー、コットン
Dimensions Variable

A Cup Of Tea


(At hiromiyoshii, Tokyo, June 23rd to July 31st, 2010)

ウェブ、特にビデオチャットという極めて曖昧な空間で形作られる関係性のありかたに興味がありました。「そこはプライベートだ」と信じるほかない空間。にもかかわらず、「そこにいるのは見えている」と、常に覗き見されている気がしてしまう空間。そこでは、外部を遮断するはずのカーテンが幕となり、勝手に引き上げられ、又は強引に引きずりおろされる可能性を秘めています。

それは、1924年に発表されたメルヴィルの『ビリー・バッド』に関してイヴ・セジウィックが論じた、戦艦の甲板上で艦長が(その権威をもって)作り上げる疑似プライベート空間のあり方にとても近いようにも思えます。

会見(オーディエンス)にはそれ自体観客(オーディエンス)、またはより不安をかきたてる潜在的観客のようなものがいるのである。(『クローゼットの認識論』 p.158)

不確かで信用できない空間で「潜在的観客」がかきたてる不安をおしのけ、または受け入れ、一人との結びつきを作り上げ、そしてその関係を確かにすることは可能なのでしょうか。そこからスタートしたのが、『You were there in front of me』という、ビデオチャット越しのポートレイト・プロジェクトでした。世界中の知らない人にコンタクトを取り、時間を決め、ビデオチャットを始める。そして、スクリーンの向こう側の「彼」を、こちら側から手持ちのカメラを使って撮影する。どのような関係性が生まれ、発展するのか、興味がありました。しかし、僕がこの作品を通して発見した事は、ビデオチャットという対面方式では、お互いの視線が出会うことが絶対にあり得ないという、ごくシンプルな事実でした。相手は僕を見ているように見えるだけなのです。

マシューはそのプロジェクトに参加したモデルの一人で、ふとしたきっかけから、長期的に彼を撮影することになりました。しかし、バーチャルの平面世界をどれだけ写真にしても、それはあくまでもバーチャルであり続けます。その写真を印刷しても、 ウェブカメラ、スクリーン、カメラ、フォトショップ、プリンターという何重もの記録を経た、一枚のより薄っぺらな嘘が出来上がるだけ。 それに加え、ウェブ上に広がる得体の知れない情報や検閲・漏洩の可能性、そしてこちら側にあるコンピューターそのものや、日常関わる人々、それらの大きな「潜在的観客」が邪魔をして、「彼」が見えないのです。手の形や瞳の色すらはっきりしない。距離感もわからない。けれども時折、他愛のないぼやけた部分–オレンジの皮、フルート、マグカップ、壁紙–が、彼という存在を訴えてきます。

A Cup Of Tea展の作品は、「潜在的観客」に対する僕なりの様々な試みです。彼らから隠れ、遊び、そして受け入れようとする試み。ほとんどの試みは失敗かもしれません。しかし、彼らの眼前において、向こう側にいる「彼」とのつながりを見つけたと思える瞬間も確かにありました。クモの糸程の細いつながりですが、それは「潜在的観客」の存在を打ち消すほどの確かさも持っていたのです。

Installation Views:
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Matthew (You were there in front of me)


「You were there in front of me」を撮り始めてしばらくして、この一連の作品が何かを欠いているように思えました。被写体はそこにいても、関係性ははっきりしない。彼らは、撮影を終えてディスコネクトした途端にいなくなり、存在すらしていなかったかのようでした。よりわかりやすい、手に取れるような関係性を僕は求めていたのかもしれません。しかし、被写体たちは常に非現実的で人工的なイメージとしてそこにありました。
マシューをビデオチャット越しに撮影したのは09年6月頃で、撮影はあっという間に終わりました。彼は無口で、僕は終止居心地のわるさを感じていました。出来上がった写真を彼にメールで送ると、they made me smile、と返事をくれました。
しばらくして、スカイプを通して彼が、カジュアルに語りかけてきました。そこから気軽なやり取りがはじまり、そのうちに僕は彼の写真をビデオチャットを通して継続的に撮るようになりました。そこには、今までの被写体との関係性 を超える、新しいものが形成されつつあるようでした。
それらの写真の、彼を象徴するわけでもない、とるに足らないディティールの一つ、二つが僕を捕え、彼についての様々な事を語りだしました。ロラン・バルトが『明るい部屋』で語ったプンクトゥム(“that accident which pricks me (but also bruises me, is poignant to me”)のように。思いがけない小さなものを捕えたクモの巣のように。そのクモの巣が招き入れ見せるのは、極めて断片的かつ精神的なイメージでしたが、それは不正確な写真よりも確かなポートレイトでもありました。それは、薄くもろくても、写真よりも確かな存在として僕を捕え、彼の存在強くを訴えてきます。

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Wallet Photograph



サイズ:A4
カラーコピー

人はよく、大切な写真を財布に入れて持ち運びます。見せられる写真は、大概折れていたり、ふちが破れていたり、汚れていたり。それでも、普通の写真よりもイメージとして重みがあり、美しくもあります。いったい、どれくらい財布の中に入れておけば、そのような財布写真が出来るのでしょうか。

マシューの住む場所の裏庭には、大きな木が立っています。僕は何度かその木の写真を撮りました。なぜか惹かれるその木を財布写真にしたいと思い僕は、それを印刷して財布にしのばせました。ひと月後、しわしわの写真になり、どこか、歴史があるようにも見えます。

しかし、そのゆるやかな折れ目もそのうち平らになり、普通の写真に戻ってしまうのでしょうか。

Not My Cup of Tea



Video
Duration: 5min

お湯が少しずつお茶の色に変わってゆきます。その間、誰かがスカイプ越しに電話を掛けてきます。 しかし、それは応対される事無く、三度の試みのあとで、発信者もあきらめてしまいます。お茶は、冷めてゆきます。

Not My Cup Of Tea (2010), Excerpt from Futoshi Miyagi on Vimeo.

What I Meant Was



Video
Duration: 3min

Macのコンピューターにはミュージックタイピングという機能(GarageBand)があり、それをオンにすると、キーボードが疑似鍵盤になります。もちろん、音の並びも不自然で、1オクターブしか出せない、と制約だらけではありますが。

そのミュージックタイピングでメールを書きました。文面は、訳の判らない記号で埋められてゆきます。メールでこの文面を送っても、送られた相手に音楽は届かない。届くのは、ぽつりぽつりと単音で奏でられる下手なバッハ。

What I Meant Was (2010), Excerpt from Futoshi Miyagi on Vimeo.