Matthew (You were there in front of me)


「You were there in front of me」を撮り始めてしばらくして、この一連の作品が何かを欠いているように思えました。被写体はそこにいても、関係性ははっきりしない。彼らは、撮影を終えてディスコネクトした途端にいなくなり、存在すらしていなかったかのようでした。よりわかりやすい、手に取れるような関係性を僕は求めていたのかもしれません。しかし、被写体たちは常に非現実的で人工的なイメージとしてそこにありました。
マシューをビデオチャット越しに撮影したのは09年6月頃で、撮影はあっという間に終わりました。彼は無口で、僕は終止居心地のわるさを感じていました。出来上がった写真を彼にメールで送ると、they made me smile、と返事をくれました。
しばらくして、スカイプを通して彼が、カジュアルに語りかけてきました。そこから気軽なやり取りがはじまり、そのうちに僕は彼の写真をビデオチャットを通して継続的に撮るようになりました。そこには、今までの被写体との関係性 を超える、新しいものが形成されつつあるようでした。
それらの写真の、彼を象徴するわけでもない、とるに足らないディティールの一つ、二つが僕を捕え、彼についての様々な事を語りだしました。ロラン・バルトが『明るい部屋』で語ったプンクトゥム(“that accident which pricks me (but also bruises me, is poignant to me”)のように。思いがけない小さなものを捕えたクモの巣のように。そのクモの巣が招き入れ見せるのは、極めて断片的かつ精神的なイメージでしたが、それは不正確な写真よりも確かなポートレイトでもありました。それは、薄くもろくても、写真よりも確かな存在として僕を捕え、彼の存在強くを訴えてきます。

________________________