忘れられたものたちへの歌, 2008



元々ひらがなで記されていた沖縄の民謡や童謡を、アルファベットに変換して、手書きで書き留めてゆきました。それを沖縄の色々な場所、生まれた島の路地や浜辺、本島の基地周辺に置き、そして一つはボトルに入れて、波にのせて流してしまいました。もしもこれらの歌たちが未だに、たとえアルファベットで書かれていたとしても、沖縄の人たちに意味をなすのか知りたかったのです。そして、もし誰か、遠い国の人がその歌を拾ったときに、果たしてそれは何を意味するのでしょうか。もちろん、結果などわかるはずもありません。今僕の手元に残っているのは、これら、これから起きるかもしれない過程を少し示唆するだけのドキュメント写真たちだけですから。

少し前に、沖縄の言葉が独自の文字文化を持たない、というありきたりの事実に僕は気づき、少し当惑してしまいました。沖縄の人々は、長らく借り物のひらがなを主体とした文字文化を形成してきたのだそうです。

そんな歴史の中生まれてきた、ひらがなばかりの沖縄民謡の歌詞は、どこか稚拙にも見えます。僕は沖縄の言葉をほとんど理解できないので、その歌たちも理解できません。赤ちゃん言葉のように難解なひらがなの羅列。近代の歴史の中で忘れ去られつつある言葉。でも、歌は生き延びたのです。

ずっと、なぜ沖縄は日本に復帰したのだろう、と疑問で仕方がありませんでした。最近は、言葉というものの重さに気づきつつもあります。それが、疑問への回答の一片をなしていることも何となくわかってきたような気がします。思い違いかも知れませんが。

失われてしまった未来へのノスタルジア、という訳でもないのです。ただ、『もしも』を考えてしまうのです。事実、どこかで何かが違えば、これらの歌たちも現在はアルファベットで記されているかもしれない。この訳の分からない文字の羅列も、もしかしたら意味をもっていたのかもしれないのです。

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