Strangers, 2005-2006



僕のアイデンティティクライシスは、どちらかといえば遅めに起こりました。 正確に言えば、23歳と半分。僕はこの問題に取り組もうと決意し、 そして、写真という媒体を通してそれを行い、克服しようと試みました。 写真を撮るその度に、少しづつ解放されていけたら、と。
方法は至って単純。全くの他人の部屋を訪ね、そこで二人、僕とその人(男)、 の写真を撮る。まるで、僕らが恋愛関係の中にあるようなことを示唆する写真を。 そうすることで僕は、自らの『性』に対する絶え間無い疑問に対峙し、 そして絶望的な恥ずかしがりをどうにか出来ると考えたのです。誰かの言ったように、 これは『周到なカミングアウトプラン』でした。それぞれの写真は曖昧なステイトメントでも、 続ける事で、全体としてもっと鮮明なビジョンを造り出す事が出来るはず。
彼らは、このプロジェクトを通してでなければ知り合うはずもなかったでしょう。 どこの馬の骨か知らない僕を部屋に招き入れ、二人きりで写真を撮らせてくれた他人たち。インターネットを通して会った男もいれば、バーで会った男もいます。その彼らを通してまた、より多くの男たちと、この写真の為だけの一時的関係を構築する為に、出会いました。こちらからコンタクトしたものも有れば、向こうから協力を申し出てきたものも有ります。僕は全ての申し出を受け入れ、そして全ての出会いを発表しました。
未知の私的空間というものは、本当に興味深く、そしてそこで自らの写真を撮るという行動は、ただただ非現実的なものです。その瞬間に相手の男が何を考えていたかは、僕は解りません。聞かない方がいいような気がしたから。
それぞれの撮影がそれぞれの男に対する愛着の様なものを僕に抱かせました(もしかしたら、僕がそう努力していたのかもしれません)。時に、二人の間の物理的・精神的距離は途方も無い程遠く感ぜられます。そしてある時は必要以上の親近感を覚えます。タイマーを用いた撮影は何時も静かに、素早く、そして不器用に行われました。しかしインタラクションはいつでもそこにありました。きっと、それがどんなに一時的で微かなものであったにせよ、そのとき僕たちはひとつの関係を築いていたのでしょう。

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