日本とクィアな表現

非異性愛者による表現、時にヌードや性的にあからさまな表現を含めた非異性愛者の性にまつわる美術は、日本においていまだ発展途上かもしれませんが、少しずつ、日本でそのようなクィアな表現を行う作家について知る機会も増えてきました。彼/彼女らについて、Zineやアーティストブックなどの出版物を通して知ることも多々あります。新たな文脈が生まれつつある、と僕は思っています。だから、わいせつかもしれないという不安のもと、表現が萎縮しないでほしいと願っています。(ここで言うZineは、独自の流通経路をもつ自費出版による出版物。レスリー・キーの写真集もZineとして機能していたと僕は考えています)

クィアな表現に不安を持ったら、性的少数派に属する作家によるZineを纏める目的でAAブロンソン(AA Bronson)らが行ってきた「Queer Zines」展で紹介されている作家たちに目を向けてみても良いかもしれません。たとえば、ウィーンの美術館・セセッションのディレクターを2006年まで勤めたマティアス・ヘルマン(Matthias Herrmann)は、ずばぬけて卑猥な男性ヌード作品集(ほぼ全てセルフポートレイト)をディレクターであった当時から自費出版し続けています。2000年代、BUTTをはじめとした、あっけらかんとした男同士の性表現を取り扱うクィア雑誌がブームとなりました。それらの雑誌はティルマンスらの有名写真家が写真を担当するなどして大きな注目を集めました。同じ時期、LTTRというZineをつくるレズビアンの作家たちは、ブルックリンのクィアアートムーヴメントの中心的な存在となり、日記、裁縫、料理、ファッションといった「女性的」とされている手法を自らの表現ツールとして再構築し、表現の域を押し広げました。当時のブルックリンでは、ポール・セプヤ(Paul Sepuya)やクリストファー・シュルツ(Christopher Schulz)ら、ゲイの作家たちもまたZineのフォーマットでパーソナルかつセクシュアルな作品集を発表しはじめています。

なぜ、クィアの作家達は印刷物を表現の第一手段としたのでしょうか。「Queer Zines」カタログの前書きにおいてブロンソンは、クィアZineの起源について、パンクやビート文化、さらに遡って、ヨーロッパのアナーキストたちによるアンダーグランドの出版文化を挙げています。(*1)それらは、密やかな場所から独自のネットワークを広げ、強烈な声を発してきました。Zineは、アンダーグラウンドの流通網を通して他者と交流する最良のツールでもあったのです。時をへて、地下に撒かれた種が地上に芽吹きます。クィアZineは欧米を中心に大きな盛り上がりを見せ、高い評価を得ます。BUTT Magazineなどはより広い流通網を手に入れることに成功し、アメリカのアート系書店では必ず目にする程メジャーな存在になりました。ただ、アジア人の/アジア人による表象はあまり目にしないことも事実です。だからこそ僕は、レスリー・キーの表現をわくわくしながら見つめていました。

1989年、アメリカのキリスト教保守系団体AFA(American Family Association)が、デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(David Wojnarowicz)という作家のコラージュから、男性ヌードや男性同士の性行為を描写した写真部分だけを作品の文脈を無視するかたちで抽出し、記事にしたことがあります。ヴォイナロヴィッチも参加していたグループ展にNEA(National Endorsement for the Arts/国立芸術基金)が資金提供していたことについての悪意に満ちた中傷記事でした。NEAは資金提供を差し控え、その年、風評被害もあってヴォイナロヴィッチの収入は大きく減ることになります。 彼は一連の騒動で精神的にも大きなダメージを負いました。1990年、ヴォイナロヴィッチは裁判を起こします。口頭尋問で、自らの活動について、男性ヌードや性的にあからさまな表現が作品においてどのような美術的、政治的意図があるのかを、彼は自分の言葉で、素直に、明確に語っています。(*2)下記は、その一部です:

あなたの作品には、性的な画像を含んだものが幾つかありますが、なぜそのような作品を作るのか、わかりやすい言葉で、説明して下さい。

私が近年の作品に性的な画像を使う理由として、まず、私自身の体験を作品に反映させていることが大きいです。同時に、20世紀も終わりに近いこの時代に、セクシュアリティや人間の体といったテーマがタブー視されるべきではないと、私自身も思っているからです。
性的な画像を使う理由のもうひとつに、ひとびとの多様性や多様な性のありかたを表現したかったということがあります。そして、人間の体がタブーとされることについて私が疑問に思う最も大きな理由として、もしも、この10年の間、人間の体というものがタブー視されていなければ、もしかしたら私は、合衆国保健社会福祉省や国会議員から、このウィルス(訳者註:HIV)に感染することを防ぐ手段を教えてもらえていたかもしれないのです。

あなたは、性的な画像を、ひとびとを刺激したり興奮させるために使用していましたか?

そのような意図は全くありません。(*3)

 

この裁判で、彼は勝訴します。 求めた賠償金は、一ドル。その一ドル小切手を、とある展示で見た事があるのですが、 ヴォイナロヴィッチ的な美しき『ファック・ユー』のしぐさが、この小さな紙切れに結晶化されていました。団体側にとっては、たった一ドルの消えない汚点。コーラも買えないほどに小額の小切手の存在に、僕は大きな希望を覚えました。

美術かわいせつかの議論が不毛だと言う人もいますが、対話/議論を続けることは大切だと思います。その対話/議論において、作品はそれが身をおく文脈も含めて語られるべきで、一作品、もしくはその一要素だけで判断されるべきではないことは自明です。ある作家のある作品、あるいはその一部分を切りとれば、歪んで見えるのかもしれない。でも、視野を広げて彼/彼女の作品を、より大きな歴史的、美術的、政治的な文脈から見据えたとき、一見わいせつにみえるものは、はたしてただわいせつなものとしてのみ機能しているのでしょうか。ヴォイナロヴィッチの作品がわいせつなものでないことを僕たちは知っています。先にあげたQueer Zines関連の作家たちも同様です。彼ら/彼女らの作品を初めて目にした人たちはきっと当惑したでしょう。でも、時間をかけて作家たちが作り上げた文脈のおかげで、少なくとも欧米の美術界において、クィアによる表現はずいぶんと風通しの良い場所に辿り着きました。同時に、その風通しの良さに挑戦するような新しい表現も生まれ続けているのです。個人的に、クィアZineの盛り上がりやその歴史を知ったときの安堵、帰属感のようなものは、いまでも強烈に覚えています。

だからこそ、作ることを躊躇しないで欲しいと強く願います。不安なら、とりあえずアンダーグラウンドにとどめておけば良くて、作ることが第一であるべきだと僕は思っています。見せることは後で考えれば良いのではないでしょうか。いつかそれが大きな流れにふわりと浮かべられる、その時期はきっとくるはずです。

大げさかもしれないが、クィアZineが示すものは、21世紀における生き方のひとつの表象だと思っている。今世紀において、自らの内に潜むいびつな声を解放するということは、文化をかたちづくる上で非常に重要なことなのだ。そうやって文化をつくることでわたしたちは、人間らしさを保ち続けているのだから。(*4)
by AAブロンソン

 

この先、まだ観ぬ(突拍子も無くて)(ぶっ飛んでいて)(とってもクィアな)Zineやアート作品を目にする事が、楽しみでしかたがありません。僕も、そういうものを作ってゆけたらと思っています。

 

2013年2月 ミヤギフトシ

 

===

*1 AA Bronson and Phil Aarons, eds., Queer Zines (NY: Printed Matter), 2007

*2 Giancarlo Ambrosino, ed., David Wojnarowicz:A definitive history of five or six years on the lower east side (NY: Semiotext(e)), 2006

*3 “Court Transcript”, in Giancarlo Ambrosino, ed., David Wojnarowicz:A definitive history of five or six years on the lower east side (NY: Semiotext(e)), 2006

*4 AA Bronson “Introduction” in AA Bronson and Phil Aarons, eds., Queer Zines (NY: Printed Matter), 2007

 

(引用部分はすべて本投稿著者訳)