American Boyfriend: An Exhibition

2012年07月10日(火)

沖縄で沖縄人男性とアメリカ人男性が恋に落ちること。それは可能なのだろうか。それぞれの言葉があり、翻訳され、取りこぼされ、誤訳される言葉がある。隔てられたそれぞれの場所で、ふたりが見る風景はどう違い、ふたりはどれだけ近づくことができるのか。

ある土地における男性性のあらわれと、関係性。そこにある隔たりは、どのようなものなのだろう。新城郁夫さん(文学批評、琉球大学教授)との何度かのメールのやり取りのなか、隔たりは「そう意識されなくとも人が共に生きている(生きていた)ことの、ほとんど絶対的な条件」という彼の言葉に、僕はふと気づく。必ずしも全てが絶望的な断絶ではなく、薄い膜のような、寄添いの可能性に満ちた隔たりも存在するということ。レースのカーテン、ベッドシーツ、肌。アロハシャツ。そして、壁や塀、森と海。あるいは、言葉、人種、年齢、セクシュアリティ、コミュニティ。沖縄は、そういった「隔たり」が強く意識される場所で、それは、そこが歴史、政治、地理の上で幾つもの線を引かれた島だからかもしれないし、だからこそ、隣にいるかもしれない誰かを、とても大切に求めるのかもしれない。

沖縄にいた頃、高校生の僕はクローゼットの中でずっとアメリカに憧れ、アメリカ映画を観て長い時間を過ごした。そのうちに沖縄を離れ、アメリカに長く住んだあと東京に移り、あこがれはゆるやかで確かな諦めとなる。覚えた英語はどんどん忘れて、それに対して為す術もない。沖縄に帰る度に街中を見回すけど、目にするアメリカ人は相変わらず兵士ばかり。でも僕はアメリカンボーイフレンドという関係の可能性を探す。ふとした瞬間に現れる隔たり、社会の間隙よりもさらにわずかな切れ目の向こうに見え隠れするその可能性が、僕を沖縄とを結びつけている。沖縄で沖縄人男性とアメリカ人男性が恋に落ちること。何度沖縄に帰っても、僕はその関係を、そこに存在するであろう、豊かな隔たりを見つける事はできなかった。でも、その存在のありかを求め続ける事で、僕はふるさとに自らの場所を見つけ出そうとしている。

ミヤギフトシ、2012

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