Archive for the ‘Queer Zines’ Category

Straight to Hell

金曜日, 2月 27th, 2015

編集:Boyd McDonald (1971-1973); Victor Weaver (1980s-1987); Billy Miller (1991-)
オフセット印刷、20.3x14cm
現在までに64号まで刊行、エディション可変
ニューヨーク、Straight to Hell, 1971-

三代に渡る編集者、三世代のふしだらな読者層、とめどないキメ台詞…Straight to Hell(当初は「The Manhattan Review of Unnatural Acts」と副題がついていた)は、読者たちが、自身の最も淫らな体験談を投稿する掲示板のような役割を果たした。初期の号はタイプライターで打たれ、表紙いっぱいにテキストが並び、ニュース欄、スポーツ欄(8号では世界最大のジョックストラップを紹介)、そして中綴じページを有していた。世捨て人の編集者Boyd McDonaldが現在のStraight to Hellを象徴するアイコニックな表紙イメージ、写真群、そして股間をぎゅっと握られるような見出しを生み出し、後続の編集者やデザイナーたちに大きな影響を与えるまでには、まだあと数号待たなければならなかった。

しかし、その初期から、「セックスの犬」と自ら称するマクドナルドはその耳で(そしてその舌で)ダーティーな話題を探し続けていた。7号目に掲載された「図書館こそ、基地内でとっておきの場所のひとつ」だけで、退役軍人省を震え上がらせるには十分だ。同じ号の「俺と甥」は「少年たちへの愛こそ、私を生かす原動力」という言葉から始まる。マクドナルドは、権威的な立場の人間が見せる乱れに興味を持っていたようで、例えば同誌では、カフェテリアの調理人が校内警備員のブーツに「奉仕」し(7号)、カウボーイのドンはバスの車中で3人の海兵隊と4Pを楽しんだり(16号)している。

投稿の多くは、ノンケだと称する人々によって送らてきたものだ。テキストは未知の快楽に彩られ、その真偽を疑うものも、もちろん多い。その内容の実現不可能性について、同誌は「Straight to Hellが独占禁止法違反で訴えられる?」*という見出しで、同誌が真実を独占していることについて言及する。

「Straight to Hellは、実際に行動し、現場で起きている真実を扱うただ一つの存在だ。」

ボイドによれば、その他の雑誌はセックスについての神話やファンタジーを書き掲載する、男性チアリーダーたちによって出版されているのだという。Straight to Hellの編集者たちは、彼らの雑誌だけが、「ストレート」、ホモセクシュアル、そしてバイセクシュアルについての真実を掲載しているのだと主張する。「独占しているさ」と編集者は認める。

「でも、それは通商におけるものではない。それなら完全に違法だよ。そうじゃなくて、他の雑誌がセックスについての真実を掲載しようとしなから、俺たちはただ、彼らが掲載してくれることを願ってやまないね。

俺たちは他の雑誌よりも倫理的だから、真実を掲載する。でもそれは、自己中な理由からなんだけどね。真実は、ホモセクシュアルの自己中な欲望を満足させてくれる。真実はホモセクシュアルに味方し、「ストレート」を貶める。神話とファンタジーは「ストレート」に味方する。他の雑誌がファンタジーを掲載し、俺たちだけが真実を掲載するのは、そんな理由だろうね。

でも、俺たちがどんな国に住んでいるかっていうことも認識しているさ。ここは、真実を伝えることがーそれが君を自由にするのではなくー牢獄送りを意味する国だよ。」

*原文:”Straight to Hell May Face Anti-Trust Suit”
Antitrust law=アンチトラスト法、独占禁止法。反=真実とかけている?

Fashionfashion

水曜日, 2月 25th, 2015

編集:K8 Hardy
カラーコピー
14x11cm、Meta:36x28cm、Mega:76x58cm
現在までに6号刊行
エディションなし、Meta:エディション50、Mega:エディション4
ニューヨーク、自費出版、2003-2009

手作りのファッションに身を包むK8 Hardyがいかにスタイリッシュであろうとも(ネイビーのボタン付きワンピースとシルクのハンカチ!)、このZINEは徹底して「非商業的ファッション雑誌」である。Fashionfashionは粗い写真とユーモアに満ちたセルフポートレイト集でもあり、ファッション写真における性差別主義的表象の典型に介入する。アーティストでありLTTRのメンバーでもあるK8 Hardyは、紙面にテキストも掲載するが、時にその単語は線を引いて消され、欠けている。

1号目でK8はストライプ柄を身にまとい、ドルマークで覆われたパンティーにはシミがついている。2号には「消費行動の中心地で見つけられる」という「おおきな幽霊」にまつわるテキストを掲載し、そのイメージは続く号でも度々登場することになる。4号でK8はベルイマンの死神を想起させる装いで、おまるを手にしている。または、ショーツを頭からかぶって逆立ちしたり、股に三脚を突っ込んだり。彼女のテキストは、記憶されたファッションと(病的な)ファンタジーの違いを問う。巨大な「Meta」号は、船の看板で撮影されたファンキーな写真撮影の様子を収める。

LTTR

水曜日, 2月 25th, 2015

編集:K8 Hardy, Emily Roysdon, Ginger Brooks Takahashi (#1-3), Lanka Tattersall, Ulrike Mueller
オフセット印刷、32-80ページ、サイズ可変
全5号、エディション:300-1000
Capricious(ブルックリン)発行 (#4はPrinted Matter) 2002.09-2006.10
www.lttr.org

Artforum誌面にまで浸食した希有なクィアZINEでもあるLTTR。研究者からアーティストまで、さまざまな人々ーレズビアン、もしくは女性であると自認するジェンダークィアによって作られる誌面は、読者の政治性そして性的指向に揺らぎを与える。集団的な編集行為によって形成される声とともに、号ごとに変化するフォーマットや、タイトルに使用され、その読みが号ごとに変わる4つの頭字語が、アイデンティティや著者性の問題を再考する機会を提供する。たとえばタイトルの頭文字は、1号目は「Lesbians to the Rescue」、2号目は「Listen Translate Translate Record」、ほかにも「Lacan Teaches to Repeat」など、さまざまに変わっていく。

アーティストによるポートフォリオのような構成をとるものの、編集者たちのクィア政治や政治的なアートの制作可能性に対する好奇心、そしてLTTRの非営利という運営方針は、まぎれもなくZINE文化の歴史上に位置づけることができるものだ。年一回発行のこの出版物は、まず作品公募から始まり、応募作品はそれぞれの号のテーマとの適合性を見極められ、掲載が決定される。取り扱う媒体もさまざまで、アーティストのマルチプルを含むこともあれば、時には展示と連動することもある。2004年夏、Art in Generalでの滞在制作中に、LTTRは「LTTR Explosion」を開催し(タイトルはLarry-bob Robertsの「Queer Zine Explosion」のオマージュにもなっている)、Gregg Bordowitzのトークやトランスジェンダーの為の法律ワークショップなど、さまざまなイベントを開催。

そのように創作や批評のネットワークに侵入してゆくこの出版物について、Emily Roysdonは言う。「掲載されたテキストを通して、私たちは私たち自身を想像し直すチャンスを得て、互いの症状を演じ合う機会を設けることで、アーティストして、職業人として、考える人としての現状に常に疑問を持てる場所を作りだそうとした。私たちは、古くさい脅威に立ち向かうために新たなチームを組み、フェミニストの性に歴史的な生を受けたことを祝福し、輝けるこの肉体、言語、アイデンティティ、そしてアートとともに、先人たちが拓いた長い道のりを進んで行く。」

1号目に掲載されたRoysdonの「Untitled (David Wojnarowicz project)」は、ランボーのマスクを被り街を彷徨うヴォイナロヴィッチの写真作品を参照するかたちで、ヴォイナロヴィッチの仮面を被ったRoysdonがディルドを使い自慰行為にふける様子などが写真に撮られている。JD SamsonとCass Birdは、彼らが作ったカレンダーを掲載、Dean Spade(Cock Sure)は本質者主義的な身体論が導き出す反=ファッションの運動が時にトランスジェンダーのひとびとを阻害する可能性についてのエッセイを寄せる。Allison Smithがせいさくしたしおりには、「ファービー(*Farby=南北戦争など歴史的事柄を再演する際に、史実とは異なる装いなどをすること)」という表現が、「こういう批判はおこがましいかもしれませんが…(far be it from me to criticize but…)」という、他者の歴史認識における誤認を正す際に、前置きとして使われる言い回しから派生したものである。それは南北ともに、史実再現時において、相手側の下手なまがいものの衣装を否定する言葉だった」と記載されている。

LPケースの体裁をとる2号目は開くとポスターになり、その中にさまざまな記事や写真が、薄茶がかった灰色のインクで印刷されている。Fereshteh Toosiによるマルチプル作品「Dress to Kill」は、戦時中に女性用衛生用品のパッケージに印刷されたプロパガンダ表現を想起させる。作品のラベル部分に掲げられたスローガン「軍と人民部隊とで別行動をとることは、我が国の意図するところではない」は、USO(米軍向けのサービス機関)による文書からの抜粋で、その発言はベトナム戦争後、USOへの支援が減少した際になされたものだ。エディションにはまた、マライヤ・キャリーやパメラ・アンダーソンも描かれている。

事実上の最終号となった第5号についてRoysdonは、「恐ろしいほどに暗い政治の季節」に対して、「あなたの行動をうながす」ためのものだという。螺旋綴じのハードカバーを開くと、G.B. Jonesによる「スケートボード・ガール」や女の子たちの悪趣味なおしゃべりを描いたドローイング、R.H. Quaytmanによる、手書きの女性器を包むような同心円上に「Cliticismという新しい種類の批評(criticism)…空間を横断し、到着ではなく探求を目的とするもの」についてのマニフェスト、そしてRidykeulousによる、Guerrilla Girlsの「The Advantages of Being a Woman Artist」を参照しつつ、WomanをLesbianに入れ替えた作品を見ることができる。

クィアジンを救え

水曜日, 8月 13th, 2014

コレクション癖をもつ人々の中でも、私たちのようなクィアジン収集家のネットワークはニッチな立ち位置に存在している。私たちが請け合い、保存し広めようとしているのは、セクシュアリティ、ジェンダー、人種、文化、そして階級におけるマイノリティーの、さらに周縁で上げられた声に他ならない。70年代や80年代のレズビアンやゲイたちによる政治色の強い同人誌から、現在の障がい者によるクィア宣言やトランスジェンダーのためのガイドまで、クィアジンはさまざまな方法で数世代に渡ってひとびとを解放し、変化を促してきた。クィアジンは、クィアな革命における生き方、愛し方、政治、キャンプ性、ジェンダーの可変性、苦悩、そして憤怒を記録し、表明してきた。私たちは、クィアジンを本棚に差し込みアーカイブすることに全力を注ぐ。なぜなら、それらのページ上で読んだメッセージや目にしたイメージを信じているから。なぜなら、それらが私たちに見せてくれる社会を未だに信じているから。

 

ジンは、切実に声を上げようとする者や、自らの地平を拡げようとしている者に大きな自由を与え、交流の場を作り出す。ZINE制作の有機的な存続手段はまた、その弱さでもある。だからこそ、私たちはジンを集めることで、瞬発的で刹那的になりがちなジンのきらめき、その押し寄せては消える波をしっかりと受けとめる。私たちは歴史的文脈におけるクィアジンの居場所を守り、そして、時に迎合主義的になりがちなゲイやレズビアンの主流文化に対抗してゆく。政治や宗教の熱狂的信者たちは、常に本、論文、個人的な手記を「危険」であるとして破り捨ててきた。ラディカルクィアの人々が培ってきた集団的な意思を、その物語に加わりたいと願う存在の手が届く場所に保管することで、私たちは反逆精神を生存させ、これから先の世代に託してゆく。私たちなりの語り方で物語を存続させる。検閲の恐怖のない未来へと。

 

クリス・ワイルド

Queer Zines 前書き

水曜日, 8月 13th, 2014

New York City, 4:25 am, Friday, October 3, 2008.
暗闇の中、ボーイフレンドのマークの静かな寝息を聞きながら、このテキストを書いている。フィル・アーロンズとともに実現に向けて動いてきた『Queer Zines』展とその展示カタログについて、思いを巡らせながら。まずはっきりさせたいのは、これがフィルのアイディアに端を発するものだということ。そこから長い間をかけて練ってきた展示も、遂に開催を間近に控え、カタログも20日後には完成する予定だ。そろそろ、この前書きを書き始めなければならない。

このささやかな前書きにおいて私は、いくつかの思考や歴史の切れ端をつぎはぎしてゆこうと思う。このテキストを含め、『Queer Zines』にまとめられた一つの流れは、いずれ誰かによって論理的な歴史検証として成熟がなされるべきものだ。今ここにあるのは、私たちが集めることが出来た、ばらばらの断片たちでしかない。

60年代後半、西洋社会がアンダーグランド誌で溢れかえっていたその時期、ショッキングな程に露骨な雑誌がアンダーグラウンドに登場する。「SUCK」というその雑誌は、アムステルダムのフリーセックス・コミューンで誕生した。当時のアングラ誌が、ほとんどコミューンベースで発行されていたことは事実ではあるけれども、「SUCK」の特異さは、それが、男、女、ストレート、ゲイ分け隔てなく多様な参加者により編集がなされていたこと、そしてフェミニズムの思考とプロセスから派生したといってもよい日記的手法を取り入れたことだろう。「SUCK」の誌面上で起こっていたこと(本当に数多くのことが起こった)は、コミューン内でのセックスライフの大仰な描写とともに、知的考察や思想論議、ラディカルポリティックスが混ざり合い、一つの特徴的な叫びとなってゆく。

時を同じくして、ニューヨークのダウンタウンで、Ed Sanders主宰のFUCK YOU PRESSが発行した雑誌「FUCK YOU: A MAGAZINE OF THE ARTS」が、新世界への入り口としての機能を果たすようになっていた。「FUCK YOU」は、当時活動していたバンドFUGSのアナーキックかつ恍惚的な、極めて政治色の強い音楽性を取り入れ、そこにニューヨーク派の詩人や、ビート作家による文章、そしてもちろん、セックスを取りこんでいった。果てしなく続く極めて政治的でポリセクシュアルな議論が、謄写版印刷の紙面から溢れ出さんばかりに飛び交い、その後数十年のニューヨークで続くオルタナティブパブリッシングの流れを生み出したといっても過言ではないだろう。

自己反芻を行いながら、自らの存在を文章の中で隠すことなく書き、そして見せかけの客観性を捨てた、もうひとつのジャーナリズムの形がある。現在では、そのような文章が当然のように読まれているが、それが始まったのは、ニューヨークのフリーペーパー、The Village Voiceが70年代にこのスタイルを全面的に取り入れはじめた頃だろう。それはレズビアン作家Jill Johnstonの記事に顕著だった。彼女のダンス評は、ダンス論とレポート、彼女自身の性体験やアバンチュール、口論、ラディカルポリティック、痴話話が混ざり合い、まるで日記のような無責任な殴り書きとして、悪名高いものだった。Voiceほど知名度・信頼度の高いメディアが、このような独特な声を取り上げ、育て上げたことは、特筆に値するだろう。当然、連載は短命に終わったが、私たちは確かに彼女の声を聞き、その声が我々の世代に与えた影響は少なくなかった。時を同じくして、Boyd McDonaldという男が、「Straight to Hell」という名の小冊子を創刊し、場末の怪しげなニューススタンドやセックスショップで売り始めた。

 

6:17 am, Monday, October 6, 2008.
クィアジンとよばれるものたちの先駆けを考えてみる。Aubrey Beardsleyの「The Yellow Book」はどうだろうか。百年以上前のものだ。Jack Smithの「The Beautiful Book」(1962)は、エロティックでパーソナルなスミス自身の遊び歩きの記録写真集だ。70年代のチューリッヒ、アートシーンの動きを追うとともに、美しいスイスボーイたちの過激なクロースアップ写真を見せる、今でも悪名高いWalter Pfeifferの「1970-1980」(1980)は、日記的手法を取り入れた写真集で、この後、いまでも脈々と続くヨーロッパのジン文化の礎となったことは、間違いないだろう。
究極的に、ジンの最も有効で最良のモデルは、ジンそのものに他ならない。ジン文化は、継続的対話でつながり広がってゆくコミュニティのようなものなのだから。

 

7:14 am, Tuesday, October 7, 2008.
1976年、イギリス。そこで起きたパンクジンの爆発的広まりは、先例のない現象だった。自費制作のレコードたちとともに、溢れるほどのジンが、パンクスターたちの間や、彼らの入り浸っていたショップなどで流通し始めた。ロンドンのカムデンタウンには、それらを扱う書店があり、特に有名だった。どうしてもその名前を思い出せないのだけれど、そこはたしか、当時の先鋭的なコンセプチュアルアートの雑誌を扱うショップとしても知られていた。

Stephen Willatsはその頃からパンクジンを収集していたアーティストで、私たちが当時発行していたFILE MAGAZINEのパンク特集は、彼の協力により完成した。その後、パンクジンが私の興味を引き始めていた。その中で、今でも割と知られているジンは、「Sniffin’ Glue」あたりだろうが、現象としてもっとも興味深かったのは、名もない作家による、何百ものパンクジンたちだった。その流れのなか、破廉恥な性描写やSMのスタイルが「パンクルック」として定着してゆくのだが、支流としてクイアジンがそこから独自のムーヴメントを形成するのは、まだ先のこと。イギリスのパンクは、ファッションやカルチャーシーンとも活発な交流を深め、それは、ヴィヴィアン・ウェストウッドとセックス・ピストルズとの関係からも明らかだ。また、デレク・ジャーマンの映画「ジュビリー」(1977)は、明らかなクイア性、少なくとも、性的あいまいさを孕んでいた。

少し、ファッションやカルチャーシーンについて考えてみよう。70年代中頃、ヴィヴィアン・ウェストウッドとマルコム・マクラレンは、ロンドン・ワールズエンドにある自身のショップの名前を、SEXへと変えた。そこで彼女は、それまで闇の中で執り行われたレザーやラバーのフェチズムを全面へと押し出したファッションを展開する。それは、極めて中性的であり、混沌に満ちていた。人気ナンバーワンのショップスタッフは、当然のごとくパンクカルチャーのポスターガールとして君臨するようになる。噂では、ゴムのミニスカートを下着なしで身に纏い、驚く程に部族的なモヒカン、派手なマスカラを施し、毎朝近郊からロンドンのショップへ地下鉄で通っていたそうだ。ヴィヴィアンは、新たにSeditionariesを立ち上げ、Tom of Finlandのイラストをデザインに取り入れた。ショップの客であったセックス・ピストルズがそれを身に纏い、爆発的人気を得ることになる。ヴィヴィアンはまた、彼女の周りの世界に対する身を切るような発言でも取りざたされた。ジョン・ライデンとの関係が不仲に陥った時、彼女はブティックのガラス面をベニヤ板で覆い、辛辣な悪口をかきなぐった。この孤高かつ発信力の強い「個の声」が、パンクジンのロールモデルとなった、と私は信じている。

このパッチワークキルトの切れ端を集める作業において、ウィリアム・バロウズの存在を忘れてはならない。アメリカ人ビート作家でありながら、フランスで絶大な人気を得ていた彼は、70年代中頃に「猛者(ワイルド・ボーイズ)―死者の書」が出版されパンク文化創成期の若者たちの支持を得るまで、アメリカにおいては見向きもされなかった。バロウズと若者、とくにクィアの若者たちとの繋がりが70年代後半まで続くなかで、彼のカットアップの手法が、80年代のクィアジンの礎を築いていったのだ。

 

5:29 am, Thursday, October 9, 2008.
ここしばらくG.B. Jonesと、この本の内容についてメールでやり取りしている。特に、女性が果たした役割と、ジンそのものの存在意義ー自身の文化をつくりあげることーについて。インディペンデント出版の世界で女性の果たした役割はとても大きいが、私は彼女たちがクイアジンの流れに与えた影響について、特に強調したい。クイアジンが取り入れた手法は、長きにわたり女性の愉しみと軽々しくカテゴライズされて来た、日記文化から派生したものだからだ。Germaine Greerの「SUCK」における文章や、The Village VoiceのJill Johnstonの記事がそうであったように。フェミニズムの文学批評において、メモワールという形態は精査されてきたが、おそらくSUCKは批評の対象にはなっていないだろう。同じように、クイアジンにも目を向けていない。しかし、フェミニズムの手法をいち早く取り入れたのは、ストレートではなくクィアの男性たちだった(もちろん、彼らに先行して、ゲイ女性たちにまず採用されたのは、言うまでもない)。

デザイナーのギャリックがこのテキストを要求している。もうすぐ書き終えなければいけないようだ。今朝のうちに、どうにか終わらせようと思っている。だから、最後にいくつか、ジグソーパズルの空きを埋めるピースたちについて書いておきたい。他は、きっと近い将来、誰かが纏めてくれるだろうから。

英語文化圏において書籍に対するパンフレット、冊子が最初に現れたのは、15世紀のこと。そして1580年代、冊子文化は大きな広がりをみせる。ゴシップや誹謗中傷、思想や意見が自由に混ざり合い、政治や時事について、人々が紙上で語り始めたのだ。この冊子文化は、結果として民主主義と自決権の考えを広めてゆくことにも貢献した。もちろん、それを可能にしたのは、印刷機の発明だ。

20世紀後半、いくつもの技術的進歩がインディペンデント出版をより簡単なものとした。その技術をいくつか挙げてみよう。オフセット印刷の発展は、60年代のアングラニュースペーパーの台頭を可能にした。60年代中後期、教育機関や役所での役目を終えた謄写版は、少部数のポエトリー雑誌を刷る役割を得ることになる。FUCK YOU PRESSは、謄写版の即席性と簡易性を極めた良い例だろう。70年代中頃になると、コピー機が登場し、ジン制作の最も有用な手段として定着する。初期パンクジンの多くも、コピー機を使用して作られた。DTPの登場で、ジンはより洗練されたスタイルを手に入れることになる。現在、デジタル出版や、オンデマンド出版などが、インディペンデント出版の地平を進行形で書き換えている。

 

5:22 am, Friday, October 10, 2008.
この前書きにおいて、クイアジンそのものについて書くことをすっかり忘れていた。初期の代表作として、John Jack Baylinの「Fanzini」を選ぼう。G.B. JonesとBruce LaBruceによる「J.D.s」は、80年代後期の理不尽かつ見栄っ張りなハイアートの声に溢れている。80年代後半から90年代初頭に発行された多くのジンは、特筆に値するものばかりだ。Scott Treleavenの「This is the Salivation Army」や、Vaginal Davisの「Fertile Latoyah Jackson Magazine」などだ。突っ込んだ議論は、やはり未来の誰かに任せるとしよう。現行のアーティストだと、Paul Sepuyaの「Shoot」が日記的手法を取り入れている。しかし、そこに文字はなく、写真のみだ。一方Calvin Holbrookの「HATE」はパンフレット文化のゴシップ的側面を現代風に取り入れている。ユニークな声は、色々な場所から聞こえてくるが、私はそれらをまだ特定したくはない。彼らは、継続的な対話の中で成長をつづけているのだから。

読者へ、この後に開かれるページが、あなたをクイアジンの世界へと誘い、読み深めるきっかけになることを願ってやまない。もし私たちがきちんと伝えることが出来ていれば、きっとあなたはジンという文化のなかに自らを浸してゆくことになるだろう。そして、いつ消えてなくなるかもしれない小規模出版物を購読しはじめるかもしれない。願わくば、我々の選択に意義を唱えてほしい。世界には、数多くのジンが今でも発見されるのを待ち続け、また同じくらい多くのユニークなアイディアが、出版されるのを待っているはずだから。

大げさかもしれない。クィアジンが示すものは、21世紀の生き方のひとつのありかただと思っている。今世紀において、自らの内に潜む、かすれた声を解放するということは、文化を形作る上で非常に重要なことなのだ。そうやって文化を形作ることで我々は、人間らしさを保ち続けているのだから。

 

AA・ブロンソン