Kiosk 砂と煙草

2020年08月13日(木)

Kiosk 砂と煙草

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2020.8.12(wed)-8.23(sun) 12:00-19:00 Closed on Mondays
At Utrecht

渋谷のユトレヒトにて、過去作のリメイクを中心としたささやかな展示、Kiosk 砂と煙草を開催します。

2004年に35mmや120フィルムを使いNY郊外を撮影した写真をまとめた新しい作品集「Out of Town, 2020」の他、とある1日に撮影した写真24枚を集めた「A Day in the Spring of 2004」、『The Ocean View Resort』展で発表した「Crumpled Peace, 2013」のリメイク「Crumpled Peace (Remake), 2020」、ガムの香りが幼少期の記憶と結びついた「Untitled (Dad), 2009 」から派生した『Untitled (A Wrapper), 2020』、同じく幼少期に作った指輪にまつわる「Five-Year-Old’s Engagement Ring, 2009」を基にした「Two Glasses of Awamori, 2020」、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催された個展『Bodies of Water』で展示した「Blue Hope, 2014」を再解釈した「Blue Hope (Remains), 2020」、「AWOL (Glove for Him), 2009」を解いた「Yarns, 2020」、学生時代に作った「Untitled (Nostalgia), 2005」をアップデートした「Untitled (Nostalgia, Sanitized), 2020」、沖縄に降る雪を想像して作った「Winter (in Okinawa), 2014 / 2020」、実行されることのなかったプロジェクトの断片「Unused Welcome (with Dust), 2007」、その他ポスターや過去の作品集も販売するほか、不定期でブラウニーもご購入いただけます。

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Kiosk 砂と煙草

元々ひらがなで記されていた沖縄の民謡や童謡を、アルファベットに変換して、手書きで書き留めてゆきました。それを沖縄の色々な場所、生まれた島の路地や浜辺、本島の基地周辺に置き、そして一つはボトルに入れて、波にのせて流してしまいました。もしもこれらの歌たちが未だに、たとえアルファベットで書かれていたとしても、沖縄の人たちに意味をなすのか知りたかったのです。そして、もし誰か、遠い国の人がその歌を拾ったときに、果たしてそれは何を意味するのでしょうか。もちろん、結果などわかるはずもありません。今僕の手元に残っているのは、これら、これから起きるかもしれない過程を少し示唆するだけのドキュメント写真たちだけですから。

少し前に、沖縄の言葉が独自の文字文化を持たない、というありきたりの事実に僕は気づき、少し当惑してしまいました。沖縄の人々は、長らく借り物のひらがなを主体とした文字文化を形成してきたのだそうです。

そんな歴史の中生まれてきた、ひらがなばかりの沖縄民謡の歌詞は、どこか稚拙にも見えます。僕は沖縄の言葉をほとんど理解できないので、その歌たちも理解できません。赤ちゃん言葉のように難解なひらがなの羅列。近代の歴史の中で忘れ去られつつある言葉。でも、歌は生き延びたのです。

ずっと、なぜ沖縄は日本に復帰したのだろう、と疑問で仕方がありませんでした。最近は、言葉というものの重さに気づきつつもあります。それが、疑問への回答の一片をなしていることも何となくわかってきたような気がします。思い違いかも知れませんが。

失われてしまった未来へのノスタルジア、という訳でもないのです。ただ、『もしも』を考えてしまうのです。事実、どこかで何かが違えば、これらの歌たちも現在はアルファベットで記されているかもしれない。この訳の分からない文字の羅列も、もしかしたら意味をもっていたのかもしれないのです。

元々ひらがなで記されていた沖縄の民謡や童謡を、アルファベットに変換して、手書きで書き留めてゆきました。それを沖縄の色々な場所、生まれた島の路地や浜辺、本島の基地周辺に置き、そして一つはボトルに入れて、波にのせて流してしまいました。もしもこれらの歌たちが未だに、たとえアルファベットで書かれていたとしても、沖縄の人たちに意味をなすのか知りたかったのです。そして、もし誰か、遠い国の人がその歌を拾ったときに、果たしてそれは何を意味するのでしょうか。もちろん、結果などわかるはずもありません。今僕の手元に残っているのは、これら、これから起きるかもしれない過程を少し示唆するだけのドキュメント写真たちだけですから。

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